1954-06-02 第19回国会 衆議院 法務委員会 第67号
遠藤という一人の被疑者が自転者を盗んだということでひつぱられた事件です。そこで会ったこともない、相談もしたこともない飯田という人と関岡という二人が、共犯だというので、警察にひつぱられて参りました。そうして警察で非常に乱暴ををやつた。久喜署の中で、頭の髪をひつぱつたり、暴行を加えたりして、とうこの二人を共犯者にしてしまった。名前は、遠藤正次というのが主犯の窃盗容疑でひつばられた。
遠藤という一人の被疑者が自転者を盗んだということでひつぱられた事件です。そこで会ったこともない、相談もしたこともない飯田という人と関岡という二人が、共犯だというので、警察にひつぱられて参りました。そうして警察で非常に乱暴ををやつた。久喜署の中で、頭の髪をひつぱつたり、暴行を加えたりして、とうこの二人を共犯者にしてしまった。名前は、遠藤正次というのが主犯の窃盗容疑でひつばられた。
すなわち、いわば小学校……(「陸軍大尉」と呼ぶ者あり)やじが来ましたが、私はそうした誤れる戦争のために、よわい三十にして第二乙種、第一補充兵の私が赤紙一本で兵隊にとられて、三十のときから予備役、陸軍二等兵としてひつぱられた。これはみな誤れる教育の犠牲であると言わざるを得ないのであります。
子供が三人ひつぱられた。そして一人が六年と十二日目に帰つて来ました。帰つて来たのでようよう漁業ができる、こういうわけで喜んでいました。その前には、おそらくわれわれのような者は犬かねこのように各方面で見ておるかと思つた。なぜならば、油が不足だから供出をしない者には油を当てがわない、こういうことを言いました。また魚を供出しろと言うから出したところが、車が一車で魚の保存が悪いから腐つてしまいました。
藤原辰次、辻信太郎、野中幸造の三人起訴されておりますが、相知警察署において取調べを受けた際に髪毛を押えつけられて、白状しろ、お前の言つておることは全部証拠があるからわかつておるぞ、うそばかり言うな、こういうことで髪毛をひつぱられた。それから辻信太郎に至りましては頭をなぐられておる、こういう事実がはつきりいたしております。
これは新聞の共同デスクとして、アメリカ人が殺したんだ、それを見ておつた者がCICにひつぱられた結果おかしくなつてなくなつたとか、かなりのスペスを使つた記事が各新聞に出ておる。
急を要しなかつたわけでございますが、第二次大戦以後の飛行機、戦車、装甲部隊のように、きようここにいるかと思うと、あしたはどこに行つてしまうかわからぬというような場合、どこか施設外で普通犯罪をしたからといつて、ここでだれがひつぱられた、あそこでだれがひつぱられたというようにひつぱられておつたのでは、とても近代戦の機動部隊はやりきれたものではない、たから戦時中には軍隊に専属的の裁判権を認めてくれ、また受入
対処いたしておりますという抽象的の言葉で、前の国会でも、その前歯会でも、ずるずるひつぱられた例はいくらでもある。従つて私はある程度具体的に伺つておかないと信用できないというのが、今までの例でございます。 そこでお伺いいたしたいのは、巣鴨の拘置所へ行つて聞いてみますと、四月二十八日講和発効までは、月に二人とか三人の釈放があつて、どんどん出られた。しかるに二十九日以後はいまだ一人も出ていない。
○菊川孝夫君 実はこの種の委員会において、私はそういう事実が起り得るとは想像もしたくはないと思うのでありますが、若し仮にこの委員会が、委員会自体としてその過半数が権力に或いは迎合し過ぎるとか、或いはその他いまわしい理由によつて左右をされるというような、率直にいつて収賄罪というようなものを構成するということも、どんな大きいところでも、総理大臣がひつぱられた例がありますからあり得るのであります。
ことに終戦まぎわにでもなれば、ちよつとしたことでもみんなひつぱられた。そういうことを考えると、治安維持法の結局形のかわつたものが破防法であるという考え方を、日本の各団体は持つておる。
待つてくれということを言つていたところが、警官を呼んで来まして、この近所の人と当人とが公務執行妨害だということでひつぱられた。こういう問題が起つておるわけです。こういうふうに前にやつた査定を押しつけてかけて来るというやり方を、依然として押し通そうとする傾向がやはり残つておるわけなんであります。こういう点で、今度の場合もなるほど予算に従つて税金をとるわけではない。実際は個人々々の実態を調べてとる。
それから今度帰つて来ると思いますが、一番みじめを見ましたのは大連あたりの特高とか、そういう前職であつて、前職のままひつぱられた人間がウラルの森林伐採に持つて行かれております。この話を聞きますと、まことにこれは涙なくして聞けない話であります。
この九艘はいずれも韓国側からマ・ラインの侵犯という嫌疑のもとに、ひつぱられた状況でございます。そのうちの四艘は乗組員と一緒に帰つて参りました。あとの五艘の乗組員もすでに帰つております。この件は私どもといたしましては、外務省なりGHQにすぐ報告いたしまして善処を要望しておるのであります。外務当局におかれましても非常に努力されまして、今回の事件については非常に早く処理できたような状況でございます。
そこで労働運動で、今の民自党総裁であられる吉田さんも、憲兵隊にひつぱられた当時を考えますと、あの当時は国賊になつておつたはずです。今でこそ一国の総理として、最高指導者としてやつておられるが、四、五年前はやはり国賊扱いされておつた。そういう時代的な感覚によつて考えますと、今われわれの闘うことが、後になつた場合には認められることもあると思う。
それがそういうことでひつぱられた。これは何としてもこじつけてひつばつた、組合員がこの解釈するのも、しようがない状態にある。それからまたこういう政策的な検察というものでは、先ほど三鷹の問題がちよつと出ましたけれども、あの場合でもやはりそういうようなことが、非常に強く印象づけられるようなやり方をしておる。この点はあとで土橋委員の方から質問するから、私特に質問しない。
○鍛冶委員長 そのうちに警察へひつぱつて行かれて、この人も参考人としてひつぱられた、こういうのですね。そういうようなことは吉岡だけでない、ほかにもいろいろ浦和にたくさんあるのではないですか。
私もその考えを持つておりまして、非常に賛成で、稻葉君とは一緒にひつぱられた者でもありますし、同志でもあり、親友でもありますので、私も蔭ながら援助しまして、そうして稻葉君が結局理事長の資格になりまして、そのときに方々へ財政的な援助をお願いしたわけであります。その点は賛助会員とか、同会員とかいうことは、はつきりしておりません。
その人が、太平洋戰爭に反対したからといつて四十日間憲兵隊にひつぱられた。ただそれだけでもつて、今日におきまして、帝國主義に反対であるということには、私は受け取れないのであります。なぜかと申しますると、吉田総理大臣が大使を勤めておつた当時に、わが國の帝國主義に反対したからといつて辞任問題を引起したということを、私は一度も聞いたことがないのであります。
あなたが賭博をして、いくら娯楽といいながら、少くとも一緒に神田署にひつぱられた以上は、西田君との関係、衞藤君との関係というものは明瞭なものがあると思う。相当親しい間でなければ、警察署に引かれるようなことは、いくら娯楽といつてもやらないと思う。その関係をあなたは否定されることはないでしよう。西田君との関係、平井君との関係、ぼくはわからないというのがわからない